サンタクロースのクリスマスパーティー

引越しをしたり、別の道を進むことになったりで、それまで仲良くしていた人や頻繁に会っていた人と離ればなれになることがある。

離れてしまっても「友だち」という事実は変わらないけれど、やはりこれまでとは同じ関係ではいられないのだろうな、という寂しさがある。

別れの時英語ではこうした相手に、「Keep in touch」と言う。「連絡を取り合おうね」ということだ。私はこの言い方が好きなのだけど、新しい生活が始まると、この約束を守ることはなかなか難しい。

しかし、Facebookの登場によってこの難しさがとても簡単になった。離れてしまった友だちがFacebook上で「友だち」であれば、相手に自分の近況を伝えたり、相手の近況にコメントしたりすることが、何の労もなくできるようになった。

Facebookは、これから知り合う人たちとの関係構築にも使えるけれど、離れてしまった古い友人たちとの関係を維持するためにも、力を発揮する。

1年過ごしたシアトルから日本に帰るとき、ウィリアムに私は「Keep in touch with me」といい、ウィリアムは「メールを書いてくれ」と私に言った。

2010年の7月、私はシアトルで最後の1ヶ月を過ごしていた。特別にやらなければいけないこともなく、日本に帰ってからのことも決まっていなかった。ウィリアムはちょうどその頃、勤め先だった学校を退職していて、時間が余っていたこともあり、よく私たちは会ってお茶を飲みながら話をしていた。美術館に併設されたカフェがウィリアムのお気に入りの場所だったが、夏のその頃はカフェの外の席が気持ちよく、そこに座って彼の過去の人生に起こったこと、私の人生のこれからなどについて、おしゃべりをした。

日本に帰った後、ウィリアムはしばしばメールを書いてくれ、私もそれに返事をしていた。ウィリアムは英語の先生でもあったので、ちょっとした英語の添削などを頼むこともあった。本当は、費用を払わなければいけないところだったのだが、友だちということで、無料でやってくれた。私は帰国してから、元同僚と会社を始めていたので、「いつか仕事として協力できるようになったらうれしい」とウィリアムはいつも言っていた。

だんだんと私のメールの頻度が減ってしまったとき、ウィリアムは一言でもいいから何かメッセージが欲しいと言ってきた。私はFacebookでウィリアムと友だちになっていたので、「Facebookでやろうよ」と言った。

しかしウィリアムはFacebookは嫌だと言った。何でも少し前に知り合いの女性のウォールに、「恋人とはうまくやっているか?」という趣旨のことを書き込んだ。しかし、彼女は複雑な関係で、新しい恋人がいることを周囲には秘密にしていた。ウィリアムが「公開」で書いてしまったために、彼女を怒らせてしまったことがあるのだという。

「Facebookは、複雑でどのメッセージがどういう風にいくのかわからない。メールのほうがいい」といった。当時、ウィリアムは65歳くらいだったので、やはりアメリカ人でもそのくらいの年頃だと、Facebookの複雑な仕様はなじまないのかもしれない。

というわけで、私たちはメールという手段を使ってコミュニケーションを取り続けた。次第に私の会社では翻訳サービスを請け負い始めたので、ちゃんと費用を払って、ネイティブチェックの業務をウィリアムに発注するようになった。私たちは、仕事面でも重要なパートナーになった。ウィリアムはいつも私のことを気遣っていて、急なスケジュールにも快く応じてくれたし、時差も考慮してスケジュールを組んでくれていた。なにより私との仕事を本当に楽しんでくれていたのを感じる。

今年の8月、かわいがっていたフェレットが病気で死んでしまった。私がそのことを伝えると、「もっとその子のことを話して、そして喪失の悲しみのプロセス(grieving process)を共有してほしい」。その言葉を受けて、彼女が死んだ時の状況やいなくなってしまった後の喪失感を伝えると次のようなメッセージが返ってきた。

「その子は、この世とあの世を隔てる川にかかる橋の向こう側で、君を待っているだろう。多分、君が彼女に追いついたとき、彼女は君の腕に飛び込んでこういうんじゃないかな。『あゆみ、川のこちら側にようこそ。私たちはずっと待っていたよ。また楽しくやって、お互い愛しあって、お互いを幸せにできるね。離れたことはとてもさみしかったけど、また一緒になれたね。』」

とても優しい励ましだ。

11月のある日、電車の中でFacebookを見ていた。あれほど、Facebookは使わない、と言っていたウィリアムの近況が私のニュースフィードに表示された。

嫌な予感がしてよく読むと、「ウィリアムは心臓発作によって死にました。彼のご家族、友だち、クライアントにお悔やみ申し上げます。」とある。

そんなばかなと思った。わずか2日前、私は彼にメールをしていた。その週に頼む予定だった翻訳のチェックの案件が遅れ、来月に延期になるということを伝えていた。新しいフェレットを飼い始めたことや、新しい事業の準備を進めていることも伝えていた。返事は送った次の日に受け取っていた。

返事には「全然問題ないよ。君の都合の良い時に働けるようにいつでも準備しています。私は、君や君の新しいフェレット、新しい事業のおかげで、幸せです。こちらは寒くて、雨が多くて、暗い季節です。近所ではもうクリスマスツリーが売られていました。そして今日はサンクスギビングの2日前!また後でもっとメールを書くね、今は眠いです。メールありがとう。」とあった。

Facebookの近況の更新があったのは、このメールを受け取った次の日だ。本当なのか、それとも誰かのいたずらなのか、判断がつかない。メールを送ってみると、すぐに返事が来た。開いてみると、自動返信のメッセージで、Facebookの近況にあったのとほぼ同じメッセージが綴られていた。死んだということ以外、詳細な情報はない。彼の携帯に電話をしてみたがコールするだけで誰も出ない。

彼は、50代以上の人3人とシェアハウスに住んでいた。大きな家で、何度かパーティに呼んでもらったことがある。その家に行って、真相を聞いてみようと思い、次の日シアトルに向かった。

家にたどりつくまでは、普通に玄関のドアを開けてくれて、私の突然の来訪に驚き、喜んでくれるんじゃないかな、とも思っていた。PCがだれかにいたずらされるとか、乗っ取られるとかしてしまって、あんなメッセージが流れてしまったんじゃないか、と想像した。

ウィリアムが住んでいた家に付き、チャイムを押すと一緒に暮らしていた女性が出てきた。よく吠える大きな黒いイヌが一緒で、「ちょっと待っててね」とドア越しに私に伝え、イヌを別の場所に連れていった。その時、その人の真っ赤な目と青白い顔を見て、ああ、間違いじゃなかったんだな、本当だったんだなとわかった。

家にいれてもらってから、その時のことを聞いた。急に自分の部屋で倒れ、みんなで人工呼吸などをしたがだめで、救急車もすぐにかけつけて病院に運んだのだが間に合わなかった、ということだった。

Facebookやメールは、シェアメイトの人たちがなんとか設定したという。そういえば、「全員、もう歳だから『もしもの時』の対応方法をお互いに伝えている」と言っていた。

しかし、あまりにも突然の死で、シェアメイトの人たちも悲嘆に暮れていた。

今こうしていても、助けてもらったこと、励まされたこと、いつも優しい言葉をかけてくれたことを思い出す。私はどれだけ彼に恩を返すことができたのだろうか。

ウィリアムはサンタクロースに似ていると自分でよく言っていた。白い髭もメガネも人の良さそうな笑顔も太った体も確かによく似ている。

私が飼っていたフェレットのことを知っていて、川の向こう側に行ってしまった人はいまのところウィリアムだけだ。今ごろ、二人でクリスマスパーティをやっていて、私の話でもしていてくれないかな、と思う。フェレットは遊ぶのが大好きだし、ウィリアムも世話をやくのが大好きだから、仲良くやっているに違いない。

Cya William!

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