Twitterで爆発感染するデマ

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ネットを流れるデマ

谷岡敏行氏をご存知だろうか。尖閣諸島での中国漁船衝突事件で殉職した、という修飾節を付け加えるとピンと来る方も多いだろう。結論から言えば、このような人物は存在せず、殉職した職員もいない。しかし、具体的な名前、詳細な状況説明を伴うストーリーとしてネット上を一人歩きしていくことになった。このデマの詳細やデマが拡散していった経緯について知りたい方はGoogleで検索してみるとよいだろう。

デマが拡散した経緯を簡単にまとめると次のようになる。まず漁船衝突事件をネタにした投稿が2チャンネルやニコニコ動画で公開される。さらに関連の書き込みがコピーを繰り返すうちに、ストーリーとしてまた手が加えられていく。作成者たちは、あくまでネタとして投稿しているのだろうが、それが伝播するうちに、一部のユーザーの間で「隠蔽された真実」として信じられてしまったようだ。

なぜ出所の不明確な匿名情報が信じられてしまうのか。以下のポイントから考えてみた。

  • ソーシャルメディアの登場による情報ループ
  • クリエーターとキュレーター
  • 現実の人間関係とオンラインの人間関係
  • ネットとデマの関係
  • ソーシャルメディアの登場による情報ループ

    TwitterやFacebook、mixiなどのソーシャルメディアが日常生活の中に組み込まれるに連れて、人の情報の交換方式、頻度、密度が大きく変わった。

    誰でもネットワーク上の情報につながり、それを他人と交換し、また自分の情報を公開しあうことが簡単にできるようになった。ネットワークから情報を受けた個人は、何らかの形(Twitterのツイート、ソーシャルブックマークへの登録、Facebookのいいね!ボタンなど)でその情報に新たな情報を付加してネットワークに返し、それがさらに他の人へと伝播することで、情報がループしていくことがごく当たり前になったのだ。

    ソーシャルメディア以前と以後では、情報の交換方式が変わっただけでなく、個人の考え方や生活をも変化させた。例えば、複数の情報への同時アクセスの実行、ある情報から異なる情報に移るときの切替速度、1つの情報を理解するための処理速度、記憶方法、プライバシーの公開に対する感じ方などは、少し前までとは大きく変わることになった。

    こうした変化とともに、他人の些細な日常生活の様子から国際問題まで、1人の人間が受け取れる情報量が圧倒的に拡大する中で、個人の情報に対する役割が生まれてきた。これは大きくクリエーター、キュレーター、消費者に分類できる。

    クリエーターとキュレーター

    情報に対する個人の役割は以下の3つに大別することができる。

    クリエーター:コンテンツを制作し、公開する人
    キュレーター:公開されたコンテンツの中から特定のコンテンツを選別し、他人と共有する人
    消費者:コンテンツを受け取り、消費する人

    消費者が最も人数が多く、クリエーターが最も少ない。また、人はある分野によって、消費者であったり、クリエーターであったり、キュレーターであったり、複数の立場も取り得る。

    優れたキュレーターは、情報を選別するという役割において、コンテンツへの批評家であるという側面もある。コンテンツキュレーターについては、「今日からキュレーターになろう」を参照していただきたい。

    ところで、ソーシャルメディア上でのクリエーターというのは、どのレベルまでをクリエーターと考えるだろうか。

    例えばTwitterで140文字以内で表現する人はクリエーターと言えるだろうか。私は、特に日本語のツイートに関する限り、一部のツイートの中には「作品」として扱われるべき優れたものが数多く存在すると考えている。例えば、140文字の小説であり、ネタポストであり、詩であり、イベントの実況などである。ただ、すべてがすべて作品であるかと言えば、その判定は非常に難しい。

    ではFacebookに写真を公開したり、ステータスアップデートをする人もクリエーターになるのであろうか。広義の意味では、彼らもクリエーターという位置づけになり、作品としての評価は、いいね!ボタンの数や共有、コメントといったソーシャルプルーフが請け負うことになる。

    キュレーターにしろ、クリエーターにしろ、ソーシャルメディア上の発言や投稿など、過去の実績とそれに対する周りの評価が本人の影響度を左右する。影響度が大きくなればなるほど、その人の発言は信ぴょう性が高くなり、より多くの人に届くことになる。

    ところが、今回のデマの拡散では、ニコニコ動画は匿名に近いユーザーIDが利用され、2チャンネル掲示板でも匿名の投稿なのに、情報が拡散されていくことになった。

    現実の人間関係とオンラインの人間関係

    ここで、現実の人間関係とオンラインの人間関係について考えてみたい。社会学者のRobin Dunbarは、人間が保てる意味のある社会的関係の上限はおよそ150人であると述べた。これは、 Dunbar’s numberとして知られており、しばしばFacebookの平均友達人数130人と比較される。

    Dunbarが定義する意味のある社会的関係というのは、相手のことを知っており、またその相手の社会的関係も把握しているということである。

    ただ、意味のある社会的関係を保っている150人の中でも、関係の強弱は存在している。これについては、ソーシャルメディア上の人間関係の強弱について分析したPaul Adamsのプレゼンテーションが大変わかりやすい。

    Paul Adamsによれば、現実の生活の中において、人は平均4−6個の複数のグループ(家族、大学関連、職場関連、趣味関連、居住地域など)に所属しており、これらのグループは互いに独立したものである。このグループの平均構成人員は2−10人である。

    ソーシャルメディア上は現実よりも簡単につながることができるものの、平均的なFacebookユーザーが日常的にコメントをしあったりする相手の数は友達130人のうちわずか2−6人程度だという。

    Adamsによれば、ソーシャルメディア上の人間関係は、強い関係、弱い関係、一時的な関係というように分類できる。

    例えばレストランや家電などの情報を交換するときに、自分がよく知っている強い関係の友達や、弱い関係にあるがその分野に強いということを知っている友達などに意見を求めることになる。つまり、関係性とその人に対する知識が信頼度と影響度を決定しているということになる。

    ところが、今回のデマの事件では、何の関係もない、見も知らぬユーザーからの情報が信用されてしまった。

    ネットとデマの関係

    ここで改めて再度冒頭で紹介したデマの広がりについて考えてみたい。2チャンネルの掲示板にしろ、ニコニコ動画にしろ(投稿したユーザー名は本人を特定できないような名前である)、匿名のユーザーによる出所不明の情報であるのに、それを受けて本当のこととして伝播していってしまった。

    匿名のユーザーであるということは、コンテンツクリエーターとしての影響度はないということであり、人間関係としても一時的な関係以下である。しかも、ニコニコ動画のコンテンツは、ネタであるとわかるような仕掛けがされているのにも関わらず、本当のこととして広まってしまった。

    なお、信用した一部のユーザーがTwitterなどでその情報を共有してしまったことで、その人を信用するユーザーの間で情報が伝播していったという要因もある。

    デマ拡散の事例

    もっともこうしたインターネット上のデマの広がりはソーシャルメディア以前から存在した。

    例えば、1996年にアメリカで、あるデザイナーの人種差別的発言についての話題がネット上に広まったことがある。それはあるデザイナーが自分の服は特定の人種に向けたものであり、他の人種には売りたくないと発言した経緯について、あるテレビ番組で司会者が本人に直接問いただしたところ、その発言は真意であると答えたというものである。投稿者はこの発言を受けそのデザイナーの服を買うのをボイコットしようと訴えた。しかし、デザイナーはそのような趣旨の発言をしたこともなければ、そのテレビ番組に出演したこともなかったというのである。

    日本の事例では、関東大震災の時に、警視庁官房であった正力松太郎が「朝鮮人暴徒化」のデマを新聞各社に流したという事件がある。このときは、インフルエンサーの立場にある人物が、メディアという媒体を通して意図的に拡散させた。さらにそれが噂となって口伝えに東京中に徐々に流れていき、混乱を招いたのである。

    なぜデマが拡散するのか

    なぜこのようにデマが拡散するのかということを探る中で、「なぜ人はRTするのか?」で述べたようなRTをする動機が答えになっているようにも思える。人はおもしろい、参考になると思ったことをRTしやすく、また時として備忘録の代わりとしてRTするので、そこに元の情報の信憑性については配慮されていない場合があるし、そもそも内容を全部読まずにRTしている場合も多い。

    さらに「ソーシャルメディアの登場による情報ループ」で述べたように、人々が取得できる情報量が多くなり、しかもそれをマルチタスクで他の情報と並行しながら見たり、短時間で情報を切り替えることにより、一つ一つの情報に対する判断力が弱まっていることも要因になっている。

    信ぴょう性を確認しようにも、マルチタスク時代には関連性のない情報を次々と表示することが当たり前で、検索するつもりで検索をしなかったり、別のソースを開いてもそれを確認する前に、他の情報に移ってしまったりということが発生する。例えば、Webブラウザがコンテンツを表示するまで、別の作業をするといったことは、ネットのヘビーユーザーには日常茶飯事であろう。こうした環境もデマの拡散に拍車をかけている。

    デマ拡散のスピードと収束

    デマ拡散のスピードが早くなり範囲が広がっている。今回の噂では、匿名で発表されたネットを流れる情報があっという間に日本国中に広まっていった。インターネット上のデマは、流れていく間に、他の人からの指摘により情報が訂正されたり、正しい情報が広まっていくという自浄効果があることも確かである。しかし、必ずしも誰もがその噂を打ち消す情報を手に入れるわけではない。浄化しきれなかった部分からまた感染するように新たな噂が流れていくということもある。

    今後もデマがネット上を席巻することはあり得るだろう。そしてそうした情報に騙されてしまうことも誰にでも起こり得るのだ。

    まとめ:情報の拡散に伴う危険性

    企業やブランドが顧客への影響力を持つために必要な要素の1つが信頼性である。現在は、それを高めるために、ソーシャルメディアを活用していろいろな施策を講じている段階である。

    しかし、デマは信頼性がなくとも、関係性が薄くとも広まるときは広まってしまう。特に、デマの中に「そうあってほしいこと」「そうだとおもしろくなりそうなこと」が含まれている場合、拡散のスピードが増加する。このため、真実に近い良い噂よりも真実とは異なる悪い噂のほうが広まりやすいのである。

    情報の受け手として、その情報の真偽を自分で判断することが重要という意見があり、私も同意であるが、それでもデマは発生するだろう。現在の情報量は人間の情報処理能力の限界を超えているからだ。

    インターネットは情報の無法地帯であり、その判断が自分に委ねられているのである。

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